Maki Textile Studio
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デリーより
今朝はめずらしく雨があがって、一日薄日がさしました。 秋の空のような高い空が気持ちよく、機場に訪れる子牛の兄弟(?)や小鳥たちや孔雀やリスも楽しそうでした。 機場の中の織り終わった機にかかっている糸が天窓からの光を浴びて静かに光っていました。 蚕がつくった糸のゆらぎです。

 
なますて
なますて。 

モンスーンまっただ中のインドからです。 
一昨日こちらに到着しました。 
はじめは曇り空がなんだかほっとするような気持ちでしたが、 降り出すとものすごい雨です。雨が降り出したらすべてはストップ。 
人、車、動物もみんな立ち往生です。 
でもその雨のおかげで緑がきれいなこと...。 

昨日は雨の合間に機場にいけました。 
気温も28度くらいでここちよく、 機音がひびき、私の胸もおどりました。 
あ〜。やっぱり機場はいいな。 
織師さんたちが鼻歌まじりで織っています。 
体調不良で、まだ村から帰ってきていない はずのパシウジャマ(経糸職人)も私に合わせて村から 帰ってきてくれていました。
ちょっと静かでしたが、 大丈夫そう。 
すぐに糸の準備を手伝ってくれました。 

インドと言えば赤、私は長年インドで赤を染めたいと 願ってきました。
サパンウッドという木で染める赤。



いかがでしょうか、こんな色合いのストール。 

最近私が気に入る色を思い出してみると 
赤。なんです。 
竹の家ではスオウの赤も美しく染まりました。 
紅のピンクもうっとりする色。 
そしてこのサパンウッドの赤。
これからどのくらい調達できるかわかりませんが、 今回ストールが作れそうです。 

どんなものになるかお楽しみに。 

 真木千秋より
ウールの試織
by 真木千秋

竹の家では昨日から夕暮れにひぐらしが鳴きはじめました。
私は秋のgangaの糸染め、試織などで大忙しです。 
暖かい手紡ぎのウールを毎日のようになでまわしています。 
触れば触るほどウールにしかできない 面白さがつぎつぎにあらわれます。

 

数日前にスタッフからくるりと首に巻くちょこっとしたマフラーがあるといい ― 
というアイディアがでて、それをどうとめるのかを悩んでいました。 
何かピンかくるみボタンなどでとめるのが良さそうだけど、 くるみボタンだどループをつけるのがむずかしい..........
などと話していたときにちょっと思いついたのでした。 
何年も前に見つけた、アフリカのある部族が織る穴あきの布。 
いつかこの織り方を応用してみたい。 
そう、織りながら穴をあけてみました。 
ひとつ穴をあけてみるともっといろいろやりたくなりますが。。。 

さてさてどんなものができあがるのか......秋をお楽しみに。
春繭終了
                    by 真木千秋
今日春繭の座繰りが終わりました。
先週6月18日に竹の家に届き今日までですべて終了。
毎日水もしたたる?ようなすばらしい湿気にめぐまれました。
座繰りにはもってこいの気候です。

今年は3キロほど春繭の塩蔵も試みました。
おつけもののようですが、春の繭を塩づけすることで
たくさんの繭が一度にできあがったとしても
春繭の新鮮さを失わずにある程度はおいておくことができ、
風合いも良くなるという、古来中国での秘法とのこと。
できあがって比べてみると、塩づけするほうが少ししなやかな
感じがします。
染めてみてどう違うか楽しみです。



私たちの糸は太めです。
虫が繭をつくるときに首を振動させながら糸をはきだします。
その一本一本、やっと目にみえるようなゆらぎを太く束ね、
できるだけゆっくり巻き取っていくことで
本来のゆらぎが残る糸をつくりたいからです。

このあとは藍の生葉染めや、ことしは知人が紅花を育ててくれているので、
この真っ白い糸を、透き通るような紅でピンク色に染めたいです。

あ〜、楽しみです。

今年もお蚕さん本当にありがとうございました。
糸は最後の最後まで使います。
そして長く長く使える織物にしたいと思います。


春繭の座繰り
by 真木千秋


一昨日から竹の家では春繭の座繰りをはじめました。
ひとつの繭から出てくる一本の繊維が切れると、いつまでもふわふわふわふわと空気に浮かんでいます。
私の糸づくりは、そのくらい軽い繊維を約70粒から80粒の繭からとり指先で束ねて、 座繰り機でくるくると座繰っていきます。 
ときどき右手でその繭からの糸の重さ、太さを確認しながら、だいたい同じ太さになるように座繰ります。 


糸をゆるめて、そのひとつひとつの繭からでている数十本の繊維を見てみると........ 
繊維はみんなゆらゆらとゆらいでいます。まっすぐではないのです。 
このゆらぎが糸になったときに残りますように........。 

白と一口にいいますが、春繭の白は、言い表しようのない白です。 
半透明のような、白に青みがかかったというか.....。
その風合いとともに現れる神秘的な白。 

今年も友人たちの助けにより、藍もなんとか育ちそう。
生葉染めのためにもこの白い糸が必要です。 
そして今年は紅も染めてみたい。 
そして毎年のことですが、すべての春繭の座繰り糸はストールに織り込まれて使いきります。 

--------------ダライラマの声を聞きつつ、お線香をたきながらの座繰りの作業を続けています。 
 お蚕さんにありがとう。

しあわせの黄色い布
by 真木千秋



西表の石垣昭子さんから小包が届いた。
中から目がさめるような黄色い布がでてきた。
この布は麻とゆうなの繊維で織られて、
くちなしの実で染め、西表で海ざらしされて、
そしてはるばる五日市までやってきた。
ゆうなは奄美大島で糸にされたものだという。
厄よけの力があると昔から言い伝えられているそう。

しかし、この黄色ほんとうにすごい.....。
40年近いくちなしの実で染めたとのこと、
無媒染だという。もし色がさめたり変化してきたら、
また染めますよ。というコメントがついていた。
無媒染か〜〜。さすが昭子さん。
たいていは植物染料で染め、媒染で色出しと色止めをするものだ。
そうすることで色が定着する。
でも媒染で待っていた色が出るときもあれば、
媒染してしまったら色がかわってしまって、がっかりすることもある。
きっとこの黄色が絶対的だったから、
そのままにすることにしたのだと思う。
この布を店の西側の窓にかけてみた。

幸運をよぶ黄色い布.......

真木千秋
Coco Chanel
昨日思いがけず、衛星放送で上映していたCoco Chanelという映画をみた。
今までシャネルに特別興味も持つこともなかったが、彼女の生き様をみて感動した。

戦争前にパリで孤児として育ったシャネルは、お針子として働いていた。
その頃から人とは違う鋭い感覚の持ち主だった。
自由奔放に生きるシャネルは、男性との出会いで上流社会での生活も経験するが..........。
とにかく面白い場面がたくさん出てくる。

ある日親友と2人でリゾート地へ行く。 
貴公子と貴婦人の服装はビーチでも決まりきったスタイル。 
女性はコルセットで体を縛り付けた上から、ドレス、同じような帽子に靴。 
そんな中、貝殻を売り歩く漁師のおじさんがシャネルに近づいてくる。 
貝殻よりも、彼らの着ている心地良さそうなフィッシャーマンセーターやパンツ、シャツを見て、すべて買い取って帰り、着たり脱いだりの大ファッションショー が始まる。
 
「何故、女はこんな窮屈な服を着なければいけないの?」 とドレスを脱ぎ捨て、コルセットから解放し、男のようなセーターにシャツ、ジャケット、パンツ....。 
農民のかぶるような麦わら帽子....。 
それまでだれも見たこともないようなスタイルで町を歩きはじめる。 ベルベットなどより、下層階級の労働着にしか使われていなかったジャージーを買い占めて、新しいスタイルを作り上げていく。 
そのセンスは抜群だ。

 私たちだって着心地が良い服が着ていたいわよね〜、と言いながら、 
もしかしたら警察に罰せられないかしら?、と心配するほど保守的な社会の中で、 
ずんずんと自分の信じる服作りを進めていく。 
その姿にほれぼれしてしまった。 

何をするにも同じこと。 
織物一枚とて、そのくらいの気迫でつくることが必要だと思った。
笑顔のなみ
昨日はカディ展の最終日。
母屋から見ていたらお店がにぎわっていて、なんだか楽しそうだったのでちょっと行ってみた。

そうしたら顔見知りのお客さまが熱心にストールを選んでいる最中。
何年か前に購入したという藍にムガシルクの入ったストールが、まるで自分の一部のようにショルダーバックのひもにくくりつけてあって、良い味わいになっていた。
自分で編んだというフリンジもとても可愛いらしかった。
今回は白はどうかしら?と生絹、麻、苧麻の入った細かい空羽になっている白地のストールに薄緑のさし色のはいったものと赤やライトブルーや黄色をつないだ糸が入っているものとをどちらにしようか交互にかけて見ている。

私が近づいていくと私のほうに向いて、見せてくださった時のその笑顔...........。
その時一瞬ふわりとあたりにオーラのようなものがまいて、彼女がきらきらしていた。
とてもすてきで、すてき、というのもはずかしいくらい。
ただその笑顔のなみがおしよせてきて、私もにこにこしてしまった。

一緒にいつも仲良くお話しながらいらっしゃるお連れのご主人が、
「うちはもう他にほとんど衣類を買わなくなったんですよ。買うとしても簡単なTシャツくらいであとはここで........。それでうちの衣類代は前より下がったんですよ。満足するからいらなくなったんです。」

すごいな〜。そんなことってあるのでしょうか?
そんな風に布を楽しんでくださっているなんて、こんなにうれしいことはないなあ...
とつくづくうれしくなりました。

しばらくしてちょうど私も竹の家にもどろうとしたときに、お二人が駅前で借りてきたという自転車にのってさっそうと帰られるところでした。
さようなら〜と声をかけると、またまた笑顔。

笑顔のなみにつつまれたしあわせなひとときでした。

Lucie Rie
 今日ルーシーリー展を見てきました。
1902年生まれの女流作家の作品のすばらしさに久しぶりに胸が震えるようでした。
心にくい色使いといい、テクスチャー、女性ならでは(多分)の繊細さ、美しいフォルム、フォルムと色や柄の絶妙さ。技術を感じさせないような技、でもきっとかなりの熟練の末にあんなにいろいろな表情をだせるのだと思わざるをえません。
生前のインタビューの中で針で線を書いている動作の中で、
どうしてこのような線を書こうと思ったのですか?という質問に対して、
「以前に紀元前のうつわにこんなふうに線をえがいているものがあったので、
やってみたのがきっかけよ。」とわりと簡単なきっかけでした。
でも彼女にかかるとすばらしいものができあがってくるのです。
石垣昭子さんと真砂三千代さんと一緒だったのでよけいに面白かったのですが、
昭子さんは白地に藍の線が入ってそれがぼや〜と部分的にぼけているのをみて、
「もうこうなるとぼかしもムラもゆるされるわね。」とか言っていました。
私が「昭子さんももうぼかしもムラもゆるされるんじゃない?昭子さんがやれば
それも表現のうちだとおもうし。」といってにやっとしたり。。
そしてまたちょっとしたさし色や色使いをみて「気持ちがよくわかる」などとも言っていました。

私もう〜〜〜んとうなりながら鳥肌がたったり感動してなんだかこみあげるものがあったり。
なんで感動するのですかね?ものをみることで。
感じるものがあるからなのでしょうね。
でも素晴らしい作家だったと思います。
ルーシーリー


今日は気持ちのよい刺激を受けてよい一日でした。


真木千秋